冨永愛の母親と父親はどんな人?現在の関係は?【徹子の部屋】

現在は、シングルマザーとして、仕事と子育てをされているようでした。

ご両親のことは、あまり話題にならなかったようですが、どんな感じのかたなのでしょうか。

スポンサーリンク

母親の画像は?

割と派手な感じの方だったようですね。

いや、1980年代なら普通かも。

母親はどんな人?

過去には、内職をされていたことがあるようです。一方で、

母は、ほとんど家にいなかった。

どこでどういう仕事をしていたのか知らない。

朝、学校へ行くときに見かけるだけで、夜、わたしたちが寝る前にはまだ帰っていない。たまに帰ってくるときには、酔っぱらっていた。

出典:冨永愛「愛なんて大っ嫌い」(2014)ディスカヴァー・トゥエンティワン

とのことなので、夜勤務の仕事だったのかもしれません。

何度も結婚と離婚を繰り返されており、都度、引っ越しされていたようでした。

割と、奔放な性格の方だったようです。

母の身勝手さに対する嫌悪感と、それでもわたしたち姉妹を手放さなかった母への愛着。その両方にはさまれて、こどものころのわたしの母に対する思いは複雑だった。

出典:冨永愛「愛なんて大っ嫌い」(2014)ディスカヴァー・トゥエンティワン

冨永さんは、子供のころは随分しんどい思いをされたようでした。

冨永さんが、モデルを職業に選ぼうとしたときは、反対されたようです。

この点は、まあ普通なのでしょう。だいたいの親は、子供の進路選択に反対する傾向にあるので、それほどおかしくはないような気がします。

父親はどんな人?

冨永さんが3歳、1985年ごろに、愛さんとお父様は、高速に乗ってディズニーランドに出かけたことがあるようでした。

車の中に電話があったそうです。

当時は、スマホや携帯はまだなかったはずなので、自動車電話というやつでしょう。

自動車電話は高額なため、普及するというほどには普及していなかったはずです。

基本料金が月3万円、6秒10円とか。

そんなものがついている車に乗っているということは、実のお父様は、割とお金持ちだったのかもしれません。

そのときの父の顔は覚えていないけれど、父のやさしい声の響きとわたしを抱き上げてくれた大きな手がわたしの思い出。わたしの、父とのたったひとつの思い出。

この継ぎはぎの夏の思い出を、何度も何度も繰り返し繰り返し思い出すことが、わたしの唯一の、父との時間だった。

出典:冨永愛「愛なんて大っ嫌い」(2014)ディスカヴァー・トゥエンティワン

どんな仕事をされているのかについての情報は見当たりませんでしたが、冨永さんと再会されたときの様子からして、普通の人のように感じられました(次見出し参照)。

スポンサーリンク

現在の関係は?

わたしをこの世に送り出し、今も見守ってくれている父と母……。感謝しています。

出典:冨永愛「愛なんて大っ嫌い」(2014)ディスカヴァー・トゥエンティワン

お父様は、冨永さんが3歳の時に離婚されており、冨永さんが会いに行くまであっていなかったようです。

再会したとき、お父様は65歳。

冨永さんより10センチは背が高く、冨永さんにそっくりだそうでした。冨永さんに「若気の至り」をお詫びされたようでした。

宮崎県都城市に國府家のお墓があり、墓参りに行かれています。

冨永さんにとって、過去は大変だったようですが、お母様、お父様ともに、現在はとてもうまくいっているのではないかと感じました。

冨永さんの、差別やいやがらせの話はこっち。

まとめ

今回は、モデルの冨永愛さんをとりあげました。

お母様は、過去は内職や夜勤務の仕事をされていた可能性がありそうでした。お父様は、再会時には65歳で、身長は190センチくらいはありそうでした。ご職業は不明でしたが、1985年当時、自動車電話のついた車に乗っていたところからして、お金持ちなのかもしれません。

現在は幸せなようなので、何よりと思いました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

  1. まさき より:

    強いお人柄は育った環境から来ると言われますがまさしくと感じました。

    • くつざわ 寛治 より:

      コメントくださり、大変ありがとうございます!
      そうですね、そんな感じですよね。
      厳しい家庭環境が冨永さんを強くしたのでしょうね。