メンゲレの師、オトマール・フォン・フェアシュアーの経歴とその後は?

第二次大戦中に、ナチスの管轄下にあった収容所において、多数の人体実験を行ったことで有名なヨーゼフ・メンゲレの師、オトマール・フォン・フェアシュアーがテレビで取り上げられるようです。

この人物は、どうやら訴追などされなかったようですが、どんな人物で、なぜ訴追されなかったのでしょうか。調べてみました。

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フェアシュアーのプロフィール

出典:alchetron.com

名前:Otmar Freiherr von Verschuer(オトマール・フォン・フェアシュアー)

生年月日:1896年7月16日

死去:1969年8月8日(ドイツ ミュンスターにて自動車事故死 73歳)

経歴

1896年 貴族の家系に生まれる
1919年 23歳 マールブルク大学で医学を学ぶ
1923年 27歳 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学で博士号取得
1927年 31歳 カイザーウィルヘルム研究所遺伝学部門の部門長
1942年 46歳 カイザーウィルヘルム研究所所長
1952年 56歳 ドイツ人類学会会長

1950年ごろにミュンスター大学医学部の学部長などもしていたようです。要するに、遺伝学の研究をずっとしていたわけです。

学者なのだから、研究していればよかったと思うのですが、1940年にナチスに入党してしまったようです。

また、弟子のメンゲレが収容所でしていたことを、どの程度知っていたのかどうか分かりませんが、研究成果を送ってもらっていたことが、非難される材料になっているようですね。

彼がどういうつもりだったのか、今となっては分かりませんが、個人的には、雰囲気に流されるなと言いたいところです。危険と気が付かなかったのでしょうか。

当時は世界恐慌で、研究所が財政難であったため、早期に研究成果を出すことに必死になりすぎたのでしょうか。

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その後、訴追されなかったのはなぜ?

出典:wikipedia

実は、彼の研究所の研究資金は、ロックフェラーが出どころになっていたようです。アメリカが研究を後押ししていたわけです。

これでは、アメリアは訴追できないですね。訴追して、非人道的な実験に間接的に関与していたことが明るみにでれば、自分たちが後押ししていたことがばれてしまう。これが訴追されなかった理由ですね。

しかし、収容所での弟子の行動に問題がありそうだと、彼や周りの研究者たちは気づかなかったのでしょうか。

まとめ

今回は、ナチスドイツの収容所で死の天使と言われたヨーゼフ・メンゲレの師、オトマール・フォン・フェアシュアーについてとり上げました。研究成果を出すことに暴走してしまったのかもしれません。

そんな、フェアシュアーがNHKの番組で取り上げられるようです。どんな様子だったのか、気になるところではあります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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