黄金の手を持つ科学者、カール・イルメンゼーの経歴とその後は?

1996年にクローン羊のドリーが作成され、大きな話題となったことがありました。

しかし、これより19年早く、1977年にマウスのクローンの生成は可能、という発表がされたことがありました。

どういう人が発表し、その後、どうなったのでしょうか。調べてみました。

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カール・イルメンゼーの経歴

出典:marcel-benoist.ch

名前:Karl Illmensee

生年月日:1939年(80歳)

出身:オーストリア リンダウ

経歴:

ルートヴィヒマクシミリアン大学で化学と生物学を学ぶ
1960年~ ショウジョウバエの研究に取り組む
1970年 ルートヴィヒマクシミリアン大学動物学研究所で博士号取得
1971年 米国ブルーミントン大学、フォックスチェイス癌センター勤務
1977年 マウスのクローンの生成について発表
1978年 スイス ジュネーブ大学の教授に就任
1981年 マルセル・ブノワ賞(スイスのノーベル賞と言われる賞)受賞
1983年 クルト・ビュルキ氏がデータの偽造を告発、外部調査チームが作られる
1988年 ジュネーブ大学を去る

ルートヴィヒマクシミリアン大学というのは、世界ランキング32位の名門大学のようです(東大は42位)。

なお、クルト・ビュルキはその後、1985~1999まではノバルティスに勤務、1999~2013まではチューリッヒ大学で教授職にあったようです。

出典:cgem.ca Dr.Davor Solter

ダヴォール・ソルター博士によって、研究に信頼性がないことが明確になったのが、1983年。ジュネーブ大学を去ったのが1988年。すぐに去ったわけではないようです(ソルター博士の現在はこっち)。

研究がらみの不正は割と起きているようです。個人の問題にしている限り、再発は防げないような気がしました。組織設計はどうなっているのでしょうか。

この手の話をみていると、いつも個人がバラバラに動いているという印象を受けます。所属している組織による統制やモニタリングが緩すぎるような気がします。

所属組織だけでモニタリングできないなら、別の枠組みでのモニタリングのための機構が必要な気がしました。

不正事件がなくならないところをみると、結局のところ、好きにやりたいから不正対策などするなというのが、研究者の本音であろうと感じたのですが、皆さんはどう思われるでしょう。

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イルメンゼー博士のその後は?

研究不正の後、イルメンゼー博士は、研究から病院のほうに移ったようです。

1988年 オーストリアのザルツブルク大学の教授に就任
1990年~ マウスの胚の器官の発達等の哺乳類の生殖の研究に従事
1996年 オーストリアのインスブルック大学病院で教授に就任
2001年 ローマで開かれたクローン会議に招かれる
2002年 欧州生殖発生諮問委員会のオーストリア代表に就任、米国男性科学研究所勤務
2005年 インスブルック大学病院退職
2006年 体細胞核移植に関する論文発表
2007年 ギリシャ ジェネシス不妊治療センターの科学顧問に就任
2017年 同センター退職

研究の世界からは去ったというのが、専門家の評価のようです。それでも、委員に選ばれたりしているようなので、優秀な人であることに違いはないのでしょう。

もったいない気もするのですが、仕方ないとも思いました。

研究の効率性を追求すれば、チェックを少なくすることになり、不正は起きやすくなるかもしれません。

研究の適切性を追求すれば、チェックを多くすることになり、研究成果が出るスピードが落ちてしまうかもしれません。

効率性と適切性、どちらかを取ると、どちらかが取れないので、難しいところな気がしました。

この件については、もっとモニタリングが効いていれば、イルメンゼー博士は研究者生命を失わずに済んだのでは?という気がして、残念でなりません。

まとめ

今回は、かつてマウスでのクローン作成に成功したと発表した、カール・イルメンゼー博士について取り上げました。仕方ないとは言え、もったいない話と思いました。

今後も研究不正が起きるたびに、イルメンゼー博士にも言及されることがあるのでしょう。どんな話になるのか、気になるところですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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