4スタンス理論の廣戸聡一さんが、骨法から離れた理由は?

人間の身体の使い方にいくつかのタイプがあることに、子供のころから気が付いていたという廣戸聡一さん。

その昔、「骨法」という武術があり、当時は随分流行したそうです。廣戸さんも骨法を学ばれたことがあるそうです。しかし、廣戸道場の廣戸さんの経歴をみると、骨法のことが何も書いてありません。

これはなぜでしょうか。骨法から離れた理由は何でしょうか。前回記事より詳しくとり上げたいと思います。

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骨法について公表してこなかった理由は?

出典:h-dojo.net http://www.h-dojo.net

表面的な理由は、堀辺氏に骨法のことを語るな、と言われたからでしょう。廣戸さんは、専門学校に通っておられたころに、堀辺氏の道場に入門されていますが、1988年夏に離脱しています。離脱に関して今まで何も話さなかったことについて、下記のようにお話しされています。

袂を分かつとき、「私の目の黒いうちはこのこと(骨法)をかたってはならぬ」と言われ、その言葉を守るというか、僕自身語る立場にある人間ではないと思っていたので、今まで何を聞かれても答えてはきませんでした。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」98Pより引用

こういう理由で、話されなかったようです。

骨法から離れた理由は?

決定的な部分については、廣戸さんは今もお話しになっていないようです。

僕が辞めた直後、当時の可愛がっていた後輩たちが家に来たんです。何事かと思ったら皆泣いてどうして辞められたんですかと聞いてきました。それに対して僕は一切答えませんでした。未だにその理由は誰にも話していません。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」102Pより引用

核心部分については、廣戸さんは明かされませんでした。しかし、これで終わるわけにいきませんので、何かヒントのようなものがないか、探してみました。

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何かヒントは?

いくつかヒントになるのではないか、というところを拾ってみました。

廣戸さんは、堀辺氏とスパーリングをすることがあったそうです。ただ、堀辺氏に何かを言葉で伝えることはなく、身体で受け止めるという関係だったようです。そのことについて、

意見が合わなかったとしてもへつらうことなく、己の骨子が出来上がったら、どうやったって貫かなければいけない。それだけは肝に銘じろと若いときから言われてきました。最終的にそれを貫いたからこそ破門になったわけです。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」100Pより引用

とお話しになっています。廣戸さんは、幼少から剣術の分野で、武士道の考え方について教育を受けておられたようです。「肝に銘じろ」と教えたのは、堀辺氏ではなく、剣術の先生でしょう。

堀辺氏と考えのあわないところがあったのでしょう。

骨法にとって最も大事な時期に離れてしまったのではないか、という問いに対して、廣戸さんは、分からないが、申し訳ないという気持ちでやめているという趣旨の回答をされています。その中で、

思うところや育ててもらった恩義はありますが、基本的には自分を通すため、先生の言っていることを具現化するには自分は辞めるしかないと判断し、破門されたわけです。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」101ー102Pより引用

ここで、「先生の言っていること」という言葉がありますが、これが何かは記載されていませんでした。

骨法を辞めた後、骨法をどのように見ていたかと問われ、まったく見ていないし、まったく分からないという回答をされています。その中で、

師弟関係を作った人間同士が道を違えるということは好きや嫌いといった単純な物差しでは測れないこともあるわけです。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」102Pより引用

とお答えになられています。

これらの廣戸さんのお話しからすると、堀辺氏と何か考えがあわないことがあった、ということは言えそうな気がします。

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何が合わなかったの?

仮に、廣戸さんと堀辺氏の考えが合わなかったとして、何が合わなかったのでしょう。

廣戸さんは、

昔から人間の体の秘密みたいなものに興味があって、骨法時代もそうですが、それをずっと研究してきました。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」98ー99Pより引用

というお話をされています。単に、格闘技で勝負して、勝った、負けた、という次元で物事を考えているような人ではなさそうです。格闘技という人体の破壊に限定されたものより、人体そのものに興味をもたれていた、と言えそうです。

制約が研究の障害になった?

あくまでも僕の意見ですけど、ファイトスタイルは何でもいいと思ってました。金的など急所を狙ってもいいと言われていたので、何でもありなんだと。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」101Pより引用

実際、道場破りが来たときは、堀辺氏から徹底的にやっていいと言われ、そのとおりにしていたそうです。しかし、普段の練習では制約があったようです。

僕はリアル派なので、きつかったのは船木君たちとスパーリングをしても顔面を殴れず、技限定だったことですね。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」101Pより引用

廣戸さんは、もともと人体の秘密に興味がある人なので、こういった制約があると、人体の真理を明らかにしていく上で障害になるとお考えになったのかもしれません。

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師弟関係が考えに合わない?

また、廣戸さんは、怪我をしないことを非常に重視されているようです。

僕の考え方だと、どう戦うかということよりも、まず怪我をしないことが主眼に置かれています。才能と努力があったとしても、武器である肉体が壊れてしまえば、本末転倒。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」99Pより引用

しかし、堀辺氏との関係は、堀辺氏の技を、よけずに身体で受け止める、という関係だったようです。

昔台湾で先生と演舞のようなことをやらせてもらい賞を頂いたんです。そのとき、堀辺先生の技が当たるなと思いながら我慢して当たりました。当然、ざっくりと切れましたよ。けど、それが僕の堀辺先生に対する位置関係と思ってくださって結構です。

出典:2016「ゴング格闘技MAY2016No.287」株式会社イースト・プレス、石塚隆、松山郷、「松原隆一郎教授が訊く廣戸聡一、初めて骨法を語る。」103Pより引用

普段のスパーリングでも、身体で受け止めるという関係だったようです。こういった、堀辺氏との師弟関係が、廣戸さんの怪我をしないことが大事という考えからすると、相いれないものであったのかもしれません。

人体研究の場としての限界や、怪我につながるような師弟関係が原因で、骨法から離れられたのかもしれません。

まとめ

今回は、4スタンス理論の廣戸聡一さんについて、骨法から離脱された理由について調べてみました。どうやらトラブルなどではなく、考え方の違いが原因のようでした(前回記事はこちら)。

何か判明することがあれば、再度、とり上げたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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